オーラと霊魂

~From 開運コラム~


オーラとは、簡単に言いますと「魂」の状態を表したものです。魂(霊魂)や肉体を包んでいるバリアのようなものです。赤いライトを包むと、赤い光がボヤッと漏れてきますね。これと同様に、オーラ自体が色を放っているのではなく、魂の放つ色やチャクラの色が、光を受けて発色しているものです。

オーラを見る上で大切なのは、色と強さです。言うまでもなく、シッカリとした明るい色目で、強く広がるオーラが最適です。仮に美しい色であっても、弱々しいオーラでは問題です。純粋であるが故に傷付きやすい方などがこれにあたり、性格は良いけど日の目を見ることはない…という状態になります。存在感や影響力が薄いので、恋人を他の女性に取られることもあるでしょう…。

オーラの色や強さは、魂の状態で変わります。オーラ修復コースにも記しておりますが、過度な執着や思い詰めると生霊を出します。生霊は自らの霊魂の一部ですので、当然、生霊を発すれば霊魂の一部を失うことになります。この場合はオーラの出方にも影響が出ますので、霊魂の有形がすぐに分かります。

本来、魂は球体です。しかし、生霊を発したことにより、霊魂に欠けや歪みの部分が生じます。
分かりやすいようにボールを例に挙げますと、空気の入った完全な状態のボールは、強度と跳ね返す柔軟性があります。しかし、ひびや穴があれば、強く扱うと裂けたり凹んだりします。魂もこれと同じです。

霊魂の一部を失うと霊魂自体も脆くなりますが、クッション材であるオーラにも影響が出ますので、衝撃に弱くなります。他人の悪意や、偶然の不幸等の外的要因、悩み等の内的要因に耐えられなくなります。普通なら乗り越えられる問題も、柔軟性がないので大きなダメージを受け、強烈な苦痛や苦悩に囚われます。気が強い反面、傷付きやすい方は特に注意が必要であり、気の強さが災いして自ら不運を巻き起こし、傷付くことも少なくありません。

このように、霊魂の一部を失うと傷付きやすくなり、霊魂の空洞化により感情や思考力が定まらなくなりますが、更なる被害はここからです。お墓に遺骨を葬る際に、結界を張っているのを見たことがあると思いますが、あれは清浄を印す意味だけではなく、彷徨っている無縁仏がお墓に進入することを防ぐ意味も含まれています。住職である私の祖父は、「納骨時は、不成仏霊が嗅ぎ付けて一斉に寄って来る」と言い、祓いながら急いで納骨・封印をしていました。このように邪悪霊達は、常に自分の居場所を求めており、隙があれば取り入ろうと目を光らせています。その対象は、霊魂にも及びます。

霊魂はその名の通り、霊界と繋がっています。霊魂に欠けが生じることでオーラの気密性が落ち、悪霊が通る道が出来ます。進入してきた悪霊は、霊魂の隙間を棲み家にします。結果的に取り憑かれたということになりますが、悪霊の存在によって霊魂の欠けを埋めることができ、両者の持ちつ持たれつの関係が成立します。ですが、その正体は悪霊ですから、人間にとってメリットがあるはずがありません。

悲観的・ヒステリックな傾向が強まって感情は更に揺れ、常識で考えれば分かりそうなことも一向に答えが出ない、答えが出ないから先に進めない、進めないから人に依存する、「このくらいなら許してもらえるかな…」と、自らに都合の良い判断で他人に迷惑をかける、周囲から誤解されて疎ましがられる…と、悪循環が始まります。本人は、悪霊に操られた自らの奇行・異常に気付いていないため、「何もしていないのに、どうして私ばっかりこんな目に合うの?」となるのです。

また、いつもヒステリックでピリピリとした苛立ちを感じさせる人や、重苦しさを感じさせる人がいますが、霊魂に欠落部分がある人は、丸いはずの霊魂に角が生じていますので、周囲の人達の霊魂をダイレクトに刺してしまいます。文字通り「角が立つ」という状態であり、一緒にいるだけで煩わしさや悪印象を与えてしまうのです。丸いままの霊魂が如何に大切かが分かりますね。

生霊を出す方は、性格が悪い訳でも、意地が悪い訳でもありません。むしろ、真面目で優しく、繊細な秀才タイプです。真面目故に、深刻に思い詰めてしまうのでしょう…。生霊というと、誰か対象者がいると思われがちですが、対象者がいなくても発します。例えば「彼氏が欲しい!」と思っていた場合。明るくポジティブな願いは電波のように広がり、アンテナを張っていた縁のある人を呼び寄せますが、焦りや孤独による苦しみが主になっている場合は、その苦しみを解消するために生霊として排出されます。これは霊界を彷徨い続け、隙のある霊魂を探して取り憑きます。逆を言えば、全く無関係の人が出した生霊に取り憑かれるということも有り得るということです。生霊と言えば取り憑かれることをイメージしがちですが、発している人が意外に多いことに驚いています。生霊を出した加害者も、その隙間に悪霊や他人の生霊を向かい入れ、結局は被害者となるのです。

「万櫻先生のコラムを読んで、私は生霊を出していると思いました。でも、彼に執着していないと縁が切れそうな気がします。どうすれば良いのですか?」というご相談をよく受けます。お気持ちは十分に分かります。ただ、「愛情」と「執着執念」の区別が付いていない点が気になります。「北風と太陽」の童話を思い出しましょう。彼の霊魂をギュウギュウに縛り上げて引きずり寄せようとしますと、彼の潜在意識が危機感を感じて拒絶します。温かい愛情を与えること、時には自由にさせてあげることが大切なのです。ストーカーの恋愛成就率が極めて低いのと同様に、精神的なストーカーも将来を阻まれます。その上、生霊を出して彼と自分自身を不幸にするなんて…、折角の彼への想いが勿体ないですよね。彼との縁が切れないように無理に彼を想うのではなく、清らかな愛情で彼を想うのであれば何ら問題はないのですよ。

愛情が善を生むことは、「霊障対策」における悪霊祓いの際にも感じることです。悪霊や不成仏霊を無理矢理に取り除こうとしますと、更に頑なにしがみ付こうとし、逆に反撃を喰らうのですが、仏の温かさを感じさせ、「そこよりも、こっちの方が居心地がいいでしょ。行くべき場所へ案内するから安心して向かいなさい。」と愛情を掛けることで、邪悪霊に迷いが生まれ、最終的には厳しくも温かい世界へと自らの意思で向かって行きます。何事においても、執念で無理矢理に物事を進めようとするより、愛情と温かさを以って導いた方が有利に作用すると実感しています。

潔さと明るさ、そして柔軟な丸い心で生活しましょう。そうすれば、見失っていたものが見えてくるはずですよ!

That's all for today...good luck !!   20060501writed 

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