煩悩あれば菩提あり
~From 開運コラム~
力の出し方が分からない、どうすれば頑張れるのかが分からない、何を頑張ればいいのか分からない…という人は少なくありません。「ヤル気がないわけじゃない、やれるもんならやりたい、でも…」 という状態ですね。何となくダメな雰囲気が漂うセリフですが、ヤル気を出したい気持ちが口を突いて出ること自体、既に片足を突っ込んでいる状態です。見込み大です。ただ、その取っ掛かりに出会っていないだけ、気づいていないだけ、準備ができていないだけ、ですね。
こういう言葉が出る人は、私から見れば幸せな人なのだと思います。言いかえれば、力を出さなくても良かった、頑張らなくても生きて来られた…ということですからね。でも、「これじゃいけない…」 と気付いたのなら、或いは心の奥底で鳴る何かを察するのなら、潜在意識による導きや予知を無駄にせずに、従った方が良いに決まっています。何度も同じようなことが胸をかすめるのだとすれば、未来を知っている守護霊からのノックだったりします。
神は、一回目から再起不能の大打撃を与えることはまずありません。必ず、それまでに注意や警告を出しつつ、猶予期間を設けて下さいます。ですから、臭いものに蓋をして 「大丈夫!」 と言い聞かせることは、有効なポジティブ思考とは言えません。また、嫌な予感を不吉なものとして恐れたり、不安について不安を募らせる悩み方も、全く生産性がありません。言うまでもありませんが、嫌な予感が悪いのではなく、それが本当になることが悪いのです。「もしかしたら…?!」 という不測の事態に備え、最小且つ最短で回避・解決する策や措置があるか否かが重要です。仮に無事に終わったとしても、そのリスク管理が邪魔になることはないでしょう。
神は人間に罰や驚きを与えたいのではなく、人間の霊的成長を望む存在です。神の計画(求め)をクリアしたなら、若しくは、クリアしようとする意識改革と努力が認められたなら、最悪の一大事を取り消して下さるのみならず、幸運のご褒美(ラブチャンスやステイタスアップ等の発展性のある起爆剤的なラッキー)が与えられます。文字通り、一石二鳥の効果が得られます。当方で行っている祈祷やオーラ修復も、それを触発するのに一役買う手段の一つです。鑑定報告に書かれてあるアドバイスは、目で読まずに心で捉えていきますと、真理に通ずる広い解釈に繋がると思います。
尚、神仏の御意向に沿う形で、各守護霊は人間を導いています。そして私達の最も身近な存在として、一生懸命です。しかし、本人が無知であったり頑固であったなら、守護霊の働きかけが分からなかったり、気付いているのにわざと従わなかったりします。苦労が多くて報われない人生を歩んでいる人は、ご自身が全体の摂理に反する生き方を選んでいるのかもしれません。この世は一人の幸せよりも、多くの幸せが優先されるシステムです。意地になって頑張れば通るというものではありませんので、摂理と道理に従って進めることが大事です。
さて冒頭の 「力の出し方が分からない、どうすれば頑張れるのかが分からない、何を頑張ればいいのか分からない…」 ですが、結論から言えば、ここを考えている限りは、力は出せませんし、頑張れません。何かをしようとする前向きな意識は認められますが、火事場の馬鹿力と言います通り、力は考えて出すものではありませんし、頑張り方を考えてから頑張るものでもありません。歩き方を一々考えなくても、行こうと思ったら歩いてしまうのと同じです。
どうすれば力が出るのか…、それは、力を出さなければならない状況になれば出ます。
何を頑張ればいいのか…、何でもいいのです。自分が頑張れることを始め、続けることで、答えが出ていきます。
取っ掛かりは何か…、あなたが 「やりたい、やった方がいい」 と思った時です。
切羽詰まった状況は末期です。しかし、切羽詰まった気持ちになっていることが、状況の行き詰まりを表すとは限りません。霊障や精神障害による不安や恐怖心とは別物になりますが、状況は悪くないのに、何故か急いで動かなければならない様に感じるとすれば、将来の危険を感知している、又は、本来到達しておくべき人生ポイントから大幅に遅れている・ズレていることを、守護霊が必死に訴えている可能性があります。いずれにしても、善が駆け付けている状態ですので、腰を上げて先に進むことが吉です。考えあぐねる時間を省くことで、成功への時間も短縮されます。
勿論、無駄な努力はあります。ですが、努力が無駄になることはありません。結果に結び付かない努力や、見当違いのところに力を入れて可能性すら潰してしまう努力が無いとは言えません。しかし、努力体験は身に付き、必ず活かされる時が来ます。少なくとも、努力の仕方が分からないというレベルの人よりは知恵と経験が付き、進んでいることは確かです。無駄な努力について補足するなら、突発的な圧力を努力と勘違いしている面に敗因があります。地に足を付けて先を見れば、この様な失敗を避けることが可能になるでしょう。
ですから、「分からない」 と思う時は、「分からないなりに、何かを一生懸命にやってみる」 ことです。大抵、分からないのは何もなくて分からないのではなく、色々あって謎だらけなのです。なので、思案するだけで全てを後回しにするのではなく、善を選んで手を付けていくことから始まります。尚、未熟な人ほど大穴を狙いたがりますが、不要な挫折を重ねないためには、自らの力量よりちょっと上を狙うのがポイントです。やりながらも、「何か違う気がする」 と思うこともあるでしょうが、それでもいいのです。「これだ!」 と思えるものが分からない内は、手を付けたことを一生懸命に続けて(繰り返して)結果を出しましょう。色んな選択肢がある中で、それに手を付けたこと自体、何らかの意味があります。それが大化けするかもしれませんし、次に進むための懸け橋になることも有り得ます♪
適性のある分野や成功し易い分野は鑑定で見出せますが、自力で見つけたい場合は一番目につくものを始めてみるのもいいと思います。人は、自分に関係のあることか否かを、無意識下で瞬時に判別しています。ですから、同じものを何度見聞きしても、そのことすら記憶にない人もいれば、1~2回見聞きしただけでシンクロニシティ(共時性)を読み取り、心に強く残す人もいます。好きな人に対しては、この人と出会った意味は?とか、別れた意味は?等と考える人が少なくありませんが、これを恋愛以外においても活かすことで人生が広がります。
シンクロニシティに敏感であることは、天啓に気付くための直感や霊感を伸ばす第一歩です。身の周りの物事やその意味にアンテナを張る練習にもなります。気になることにちゃんと気付けること、そして、その意味を正しく掴んで舵取りをすることで、自分流の人生の進め方や運命の癖を知ることにも繋がります。言うまでもありませんが、動かなければシンクロは起こりません。決意し、実行することから始まります。そして、必死になることで自己爆発が起こり、レベルアップと幸運な人生開花が実現されていきます。
成功すれば最高ですが、例え失敗したとしても、失敗することで次に進める利点もあり、自分自身に結論を出せること自体がプラスです。あなたの人生に相応しいチャンスは、あなたが一生懸命に手を伸ばせば届く範囲に用意されています。この摂理に一人の漏れもありません。限られた者だけが成功するのではなく、手を伸ばす者が限られているだけです。何からでもやってみましょう。やれないのなら、やれないなりにやってみましょう。今のあなたをあなた自身が作った様に、未来のあなたをどう形成するのかはあなた次第です!
※煩悩あれば菩提あり…迷いがあるからこそ悟りもある。迷わない人は悟りに到達することはない。
That's all for today...good luck !! 20090517writed