単純明快なヒロイン

~From 開運コラム~


不幸のスパイラルに巻かれた不幸体質の人に共通して感じるのは、「複雑な性質」 を持っていることです。
複雑な人は、あれこれと考えすぎて深みにはまり、真っ直ぐに物事が見られなくなっています。簡単なことを難しく考えたり、幸せなものを不幸せに捉えたり、壊れていないものを必死に修復しようとして本当に壊してしまったり…。無意味な理屈や根拠を追求しすぎるあまり、やらないか、やり過ぎるか、0か100か、白か黒か?と、周りの理解を超える極端な答えを出したり、瞬時に判断する力が鈍り、その場しのぎを繰り返して失敗する傾向にあります。

手に入れている幸せを感謝せず、愛を忘れ、不幸や苦しみや悲しみや絶望や後悔や恨みや敗北…といったネガティブな要素ばかりをクローズアップしますと、必要以上に悲観視する癖が付きます。ネガティブな要素を追求することに精力を費やす分、不幸に接することが日常的に馴染み、不幸体質が強化されます。そして、同じことを悩み疲れた挙句、自分か誰かのせいにして、責めるしかなくなります。自分を責める人は、自信と生気を失って塞ぎこみますし、誰かを責める人は、いつも誰かの評価や言動を気にする受身の被害者意識を持ち、卑屈になります。いずれも、「自分の人生を決めるのは自分だ!」 という大切なことを、忘れてしまっています。

この、極端な被害者意識・加害者意識というのは厄介で、自他共に無自覚なのに重症の人もいます。
普段は堂々としていて自己主張も強く、面倒見の良いリーダータイプなのに、自分の想いが優先されないと、途端にコンディションを崩します。単に、その事柄が通らなかったという事実を正当に捉えず、自分を全否定されたように感じたり、認められていない、愛されていない、嫌われた…等と、驚く程に思考が飛躍し、被害妄想に陥ります。自信の無さを誤魔化すために、自分に同意・共鳴させる(支配・従属)ことで、自分の存在価値を確かめようとする潜在意識が働くため、発動の立場を取りながらも、周囲の反応に動揺しやすく、他人主導の受身人生になります。強気なのに弱く、人のためのようで自分のため、発信型なのに受身…と、思考や言動の矛盾が多いので傷付き易く、周囲の人達を困惑させます。

また、生きるための規定や条件がなければ、安心できない人もいます。
例えば、「これをすれば、これが成就する」 という確実な掟を欲しがる人がいますが、万人に共通する成功法則や掟があれば、義務教育で教わるはずです。少なくとも、情報の流通が盛んな今なら、誰もが簡単にその法則を手に入れ、敗北の人生を味わう人間は消えているでしょう。人は其々が違う宿命・性質を持ち、違う選択をしながら生きています。同じ病名でも、当人の状態や病状に応じて治療方針は異なるように、全ての人に効く法則や掟は存在しません。無いからこそ、それぞれが違う人生を楽しめるのです。仕事のように規定のルールに従うしか出来ず、人生の創造力を失っているなんて、すごく怖いことです。自分のビクトリー・ルールは、自分の経験から探して見つけて、自分で定めるものです。

また、「成功するためには、いつ、どこで、だれと、何を、どのようにしていればいいのか?」 と、5W1Hのような確約・条件を知りたがる怠惰な人もいます。お気持ちは分かりますが、人生や将来に細かい拘りや条件を付ければつけるほど、可能性の糸口は減り、願いから遠ざかります。真の神聖なる存在…即ち、神や聖霊や守護霊は、そのような具体的な条件や条項を、あえてお示しになりません(余程の場合を除く)。何故なら、もし、「○月○日の夕方頃に、誰某と、何処其処へ行きなさい」 なんて教えてしまったなら、その人は、それ以外の努力をしなくなります。

神聖なる存在が、怠りの罪を誘発されるはずがありません。微かでありながらも、意味の深い重要なヒントを与え、人間が心と言動を整えて前進することを求めています。神聖なる存在の愛と言葉を信頼し、それに見合う自分をキープしていれば、ピタッとした奇跡のようなタイミングで何もかもが揃い、幸運を受け取ることが出来ます。ちなみに、細かいことまで逐一教えてくるのは、低級霊などの悪霊です。それを信じて従えば、いずれ大きな損失・損害が待っているでしょう…。

他にも様々なケースがありますが、不幸体質の複雑な人達は、まるで可愛らしい子供のように純心であるが故に脆く、適度なところで調整したり、通じ合わせたりすることが苦手であることが分かります。この様になるのは、精神成長期である生後数ヶ月~22歳頃までの満たされない経験によって、健全な魂とチャクラと自己の形成がされず、オーラも正常ではないことにも起因します。見た目は大人なのに、中身は未熟なままだったり、部分的に必要な能力が欠落・ブロックされていますので、時間をかけてジックリと霊魂を癒し、年齢や肉体に見合った精神の形成と開花を補っていくことが先決です。自らの器や能力に見合うものしか、手に入れることはできませんからね♪


ドラマやマンガにおいても、複雑な性質を持つキャラクターって、大抵は脇役です。ラストでは居なかったり、主人公に謝っていたり、主人公を祝福して見送る側になっていたりしますね。逆に、主人公のキャラクターは、一言で言えば、「単純明快」。大体は素直で明るく、粘り強く、頑張り屋さん…ってところでしょうか。悩みや試練があったとしても、自分を信じる気持ちが強く、生き方の筋が明確で、自己主張がブレないですね。

実際の人生においても、ある程度は同じだと思うのです。知性と計画性を持ちながらも、心は単純な人の方が、一歩一歩の歩幅が大きいと感じます。単純な人ほど、美しく、魅力的に自分を表現しています。偽りの無い単純明快さが、自分や相手やその場を和ませ、楽しみや安心や自信を共有し、慶びごとを次々と広げていくのです。

自分の人生の主役は、自分自身です。そして、監督、脚本、演出も自分自身です♪
主役である自分のキャラクター、ストーリー、配役…、全て、自分で決めることが出来ます。それが人生です。誰かに自慢したり、遠慮したり、評価してもらう必要はありません。そして、撮り直しも自由です!

悩み苦しむことは、頑張ることではありません。感情的になって強引に進めることは、努力ではありません。自暴自棄になって放棄することは、潔さではありません。過去の不幸に拘ることは、真剣に人生を考えていることではありません。複雑で迂遠な性質を改善しなければ、先を見通した判断力と、人と調和しながら進める力を落とし、不幸な環境を作り出します。これらの重く爛れたサイクルから抜け出さないと、霊障や悪因縁を招きます。

神は、苦痛や無理強いを人間に期待しているわけではなく、人生の様々な幸・不幸を通して叡智 (記憶力、想像力、思考力を使い、諸問題を効果的に処理する精神能力) を獲得し、明るく素直な信頼の気持ちを確立し、ステージアップすることを望んでいます。誰が何と言おうと、誰が何をしようと、神霊の期待に応える努力をし、善なる判定を頂けば、人智では変えようのない絶対的な奇跡や果報が得られます。神聖なる存在が、毎日24h体制で、一人残らず見守っています!

That's all for today...good luck !!   20070906writed 

※鑑定や祈祷におけるご不明点等ございましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。


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