霊の伸びる季節

~From 開運コラム~


春になると、多くの植物は芽吹き、花を咲かせます。春に伸びる芽や咲く花は、温かくなって突然に発生したのではありません。何ヶ月も、場合によっては何年もの間、そうなるように頑張ってきました。元々の素質や霊質、そして今に至るまでの課程や環境、それに伴い変化する霊質や力、憑いている精霊によって、成長は変わります。植物は、人間が必死過ぎて見えなくなっている成長の理を、分かり易く凝縮して表してくれます。

人間も、元々の素質や資質によってある程度の方向性は決まっていますし(宿命)、生きる課程において、宿命や人生を活かすことも殺すことも出来ます(運命)。その課程がよければ、良い守護霊や背後霊、特別な人には守護神が憑き、恵まれた幸運人生へと運ばれます。怠慢や傲慢、悪念や悪業を持つ人には、醜く飢えた邪悪霊が憑き、本人の人生もそれに見合うものへ転落します。

子供から大人まで、社会全体の二極化が進んでいますが、二極化ということは、勝者となって笑っている人も、少なからずいる、ということです。全ては、急に発生するのではなく、これまでの積み重ねの結果です。誰の人生にも、波があります。苦境の荒波を最小化し、良い波を起こし続けるには、そうなるように日頃の努力と意識を要します。どうしようもなくなって、やっと重い腰を上げるようでは、勝者にはなれません。この場合、ゼロからやり直せればまだいい方で、大体はマイナス保有となり、借金を返すような空しい人生になります。余程頑張らないと、利子の返済に追われるだけで、元本は減りません。終わりの無いマイナス人生が続いていきます。これらの危機管理意識と向上心の両方を備えている人は、勝者側で生きることが出来ます。

少し頑張ってみて、「本当にこれでいいのだろうか?」と、疑心暗鬼になって手を抜きたがる人もいます。しかし、頑張り始めて日が浅いなら、それは自分の弱さや根気の無さの表れです。何年も、場合によっては何十年もの間、自分の人生を無駄にしてきたのに、たった数日や数ヶ月間の努力で、一気に思い通りの人生になると期待するのは、虫がよすぎます。勿論、努力の結果は必ず出ます。しかし、これまでの課程が悪い人は、幸運の積み重ねの前に、散らかし放題の人生を片付ける手間と期間が必要になります。少なくとも、すぐに言い訳をして手を抜きたがる内は、今までの人生を変えることは出来ません。

このような人は霊格や精神格が低いか、霊障が懸念されますが、いずれにしても、自分の人生を投げ出して、自分ために頑張ることすら出来ない無責任な人は、幸せになれる見込みがありませんし、不幸を嘆く資格さえありません。これらの人は、自分は可哀想だから何をやっても許されると思うのか、他人に迷惑をかけることにも鈍感です。自分に対して無責任な上に、人の邪魔をするようになったら終わりです。最悪な状態でも、再起奮闘を成せる人は沢山います。このような人達は、目先の心願成就を果たした後も、その経験をもとにして安定した人生を得ています。究極に苦しい時、不要な自我と決別し、覚悟を決めて奮起が出来ること自体、もって生まれた素質や霊質が高い証です。恵まれた生まれであることに、自信と誇りを持って頂きたいと思います。そして、そのお手伝いが出来たことを私も嬉しく思っています。

しかしながら、やっていることの手応えや結果が見えなければ、自信を持って進めることが出来ない気持ちも理解できます。人それぞれ、努力を開始した時期が異なりますし、その努力の程度にもよりますので一概には括れませんが、その方向性や一時結果は、一般的に春に表れやすいと言えます。春は、植物がグングン成長するように、人間の肉体も緊張が緩み、霊性も解放されて伸びます。そのため、今までは隠れていたものが現れやすいのです。

霊性が強まれば、運にも大きく響き、環境や状況の変化に見舞われます。自分だけでなく、周りの人も同じような状態になりますので、その影響(不可抗力)も受けます。ですから、いつも以上に変化しやすいと言えます。しかし、普段から肉体と霊性の活性化に努めていない人にとっては、霊性が急激に発揮・発散される春は、良くも悪くも興奮・緊張状態になります。暫くしますと疲れがピークに達しますので、次に陥るのが、五月病と言われる無気力病です。春に限らず、祈祷や浄霊を受けて、状況が上向いた時も同様です。状況の変化を受けて興奮し、歓喜後に、エネルギー不足で燃焼してしまう人もいます。こういう風になりますと、悪霊が隙を突いて取り憑きますので要注意です。状況や環境が変わっている時ほど、肉体と心霊とオーラの正常化に配慮し、加えて、肉体的・霊的エネルギー補給に努めましょう。

本人や周囲の人の霊性によって、運や環境にも影響が及ぶわけですが、霊性には、良いものと悪いものがあります。霊障においても、その傾向が顕著に表れるのは、寒さが多少和らいで、春めいてきた頃です。モンモンとしながら過ごしてきた人は、春先になって気が緩んだ瞬間、ドーンと運が落ちる人も珍しくありません。逆に、良い思念と霊性を持って励んできた人は、良い結果や方向性を感じ取る機会に恵まれやすくなります。植物が長い間あたためてきた結果を春に表すように、人間も、昨年若しくはそれ以上の積み重ねが、その年の春に表れやすい傾向にあります。

小さな善因を持っていたなら小さな善果、大きな善因をもっていたなら大きな善果、小さな悪因なら小さな悪果、大きな悪因なら大きな悪果が表れます。好きな人のことだけを考えて恋の善徳積みに励んでいても、その他が疎かになり、悪業を重ねていれば、運は全体的に下がります。生活全般において積み重ねてきた善悪が、プラスなのかマイナスなのか…、それは春に下される天のジャッジが示します。春のジャッジ(幸不幸や方向性の示唆)を受けて、そのまま進めるなり、遣り方を変えるなり、方向転換をするなりを決めなければなりません。そして秋に、実りの収穫です。

春先に環境が変わった人は少なくないはずですが、その環境は、自分自身を正しく表す物差しです。ずっと探していた答えが見付かったり、これから進めるべき道が明らかになったり…と、内面的な変化や促進に恵まれた人も多いと思います。それは、諦めずに探し求めた結果です。正しい方向で考え進め、そして努力してきたことは、ちゃんと神仏に届いています。温かくなって、肉体と精神と霊性に余裕と解放が見られたために、神仏界から守護霊を通して贈る果報を、ちゃんと受け取ることが出来たのです。春だけでなく、夏も秋も冬も、霊性を研ぎ澄ませて、緊張と緩和を程好く整えておくことで、いつでもこれらの幸運の受け取りが可能です。しかし、精神や霊格が落ちている状態で、悪い緩和(気の緩みや投げやり)をしますと、臭い悪霊と相通じてしまい、不幸へまっしぐらに落ちていきますのでご注意下さいね。

この春のジャッジで、不運の傾向に見舞われた場合は、自己過信や甘えを改めて、謙虚な姿勢でやり直しましょう。生きている限り、全ては課程に過ぎません。不運に身を委ねる勇気と覚悟があるなら、一からやり直すくらい、何てことないはずです。勇気や覚悟は、幸せのために使いましょう。また逆に、思いのほか幸運な方向へ導かれて喜んでいる人は、勝って兜の緒を締めましょう。不幸に喘ぐ時以上に、幸運を得た時の態度や心情を、神仏や守護霊は見ています。次々の幸運を頂くためにも、謙虚に、そして感謝の気持ちを持って、実質的な努力に励みましょう。勿論、頑張ったご自分を誉めて、癒してあげることも忘れないで下さいね。頑張り続けるだけでは面白くありません。楽しみながら頑張れる環境を作るのも大切なことです。

環境の変化に見舞われた人もそうではない人も、春先(2月後半~4月初旬)の運勢や霊質は伸び易いため、後々まで影響を及ぼします。穢れを祓い、清く正しい精神と心、それに伴う清く正しい言動に尽力しましょう。後ろめたい気持ちを持ったまま頑張っても、幸運や福徳は得られません。また、頭では分かっていても、実質的な言動に繋がっていないなら、分かっていない人以上に劣悪です。どんなに崇高な理念を持っていても、それを体現できないのなら意味がありません。心掛けでは事は動かず、行動によって事は動きます。神は、賢いだけで動かない人間よりも、特に深く考えていなくてもちゃんと正しい行動が出来る人を選びます。

守護霊の強力な協力を得て、毎日着実に進歩進展させるためには、本人の肉体・精神・心・霊の有り様が鍵になります。調子の悪さを感じている人は、早めに対処した方が無難です。輝かしいオーラをまとい、軽やかに、華やかに、毎日を邁進しましょう。不幸と縁を切り、幸せな人生へと向かわれますことを心よりお祈り致します♪

That's all for today...good luck !!   20080404writed 

※鑑定や祈祷におけるご不明点等ございましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。


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